クリスマスの電飾がきれいな季節だ。
イルミネーションを見ているとシアワセな気分になる。
ただ、僕自身はキリスト教徒ではないので、
どっか引っかかる。
なんか根拠がない、ですよね?
僕はイエスキリストの生誕を祝ういわれは、ないのだ。中学高校とカトリック系の学校だったが、信徒ではない。
過去にはクリスマスを口実に
あれこれ画策したり一喜一憂したりもした。たいてい失敗したが。
正直、キリスト教徒としての義務を負ってないのなら
「サンタさん」を信じたり期待するのは
やっぱり間違いだと思うのです。
毎週教会に行けとは言いませんが、やっぱあれは「よそさまのもの」ではなかろうか。
あの辺から「ただ乗り」というか、義務責任は負わないが、
おいしいとこいただいて当然、みたいな感覚が育つのではないかと…。

せめてナマハゲにしなさい。(でもナマハゲを口実に女の子口説けないな)
というようなことを毎年思っていたのだが、
もともとクリスマスとはゲルマンの冬至を祝う習俗からきているらしく、
イエスキリストの生誕とは直接関係がない
ということを後に知った。
サンタクロースも同様とか。
そりゃそうだよね。新約聖書にはどこにも書いてなかったよね。
なんかすごく安心した。

ということで、クリスマスといわずに冬至祭とか
なんかちょっと変えてもらいたいなと思う。
韓国ドラマや香港映画なんかでアジア(異教徒)の楽しみ方を見ていると、
やっぱ根拠薄弱で、なんか情けないのは同じだなあ。
と言いながら。
 山下達郎の「クリスマスイブ」は好きだし
キックザカンクルーのカバーにはやられた!と思いぐっときた。
ポーグスの「NYの夢」というクリスマスソングを毎年聴いて涙ぐんでいる(名曲なので是非)
フィルスペクターやビーチボーイズの「クリスマスアルバム」も持っている。(スバラシイす)
根拠のない、オリジナルの縮小コピーとして、単なるお祭り、イベントのひとつとして楽しめばいいんでしょうかね。



ところで、表参道はクリスマスのイルミネーションをやめている。
以前楽しんだことのあるだけに寂しい気持ちもするが
神社の参道がクリスマスというのも恥ずかしい。
正しい選択である、とは思う。