表参道のかつて名所だった
同潤会アパート跡地。
現在、再開発中であうr。
名前が決まったらしい。
「表参道ヒルズ」。
坂であって丘じゃないとか
思うところは多少あるが、
中に入るお店は「和」
がテーマらしいから、
できれば個人的には国粋的な(笑)命名がよかったなあ。

僕が勝手に付けた愛称は
「大和」(やまと)(笑)
形が軍艦っぽいし、和テイストで。
欧米ブランドへの殴りこみってことで。
これからは通勤の往来のたび
心の中で「やまと」と呼びかける
次第である。
歌舞音曲を自粛している。
資格とるまで。
当分続きそうだ。
まず音楽。
生活の糧、NO MUSIC、NO LIFEだと思っていたので
あっさり無音楽の生活している自分が
情けなくもある。

映画、小説も当分お金も時間もかけない。
寂しいが優先順位と言うものがある。
しょうがないね。
Cornelius×groovisions
WATARIDORI GRV2153/WATARIDORI
先週シゴト帰りに寄った展覧会。
会場内には小さなテントがいくつか並んでいて
(そのカーテンが欧州のホテルなんかを思わせる少し重い、アナログなもので…)
入場時に渡されたヘッドフォンを持ち歩き、
興味あるブースでジャックに差し込んで鑑賞するという方式でした。
坂本龍一のコラボとか、つい有名どころばかり
観てしまうのはよくなかったか。

すっかりアートになってしまったコーネリアス、と思っていましたが
いや、やはりロックでした。
心地よいこと心地よいこと。
至福の時を過ごしました。
いつから彼はこんなに幸福力を持ったのか?

オザケンが立脚する東京カルチャーみたいなのが
どこか腐食して、不自然なユウウツさを胚胎している気がしてならない。
どこまで行っても、虚無。コピー、はりぼてに思えてならない。
一見虚無的で病んでそうなコーネリアスが
あらゆるものを遠心分離してしまうような爽快さを
帯びるようになったのは、意外といえば意外。
単なる「癒し」なんかでは全く語れない、
オカルト性なき元素論。
ユーモアがありコトバがあるアートがそこにある。
僕らがTVゲームやマンガに感じ抱いたリアルが、希望が、ここにある。
先日、病院に行くついでに表参道の紅葉を満喫した。
と思っていたのだが、今日再び通りかかると
紅葉、今が「満開」ではないかと思えるような鮮やかさでした。

毎日その下を歩いて通勤しているのですが、
どうもこう、つかみどころがないというか。
毎日、あれっと思う。

とはいえ、次の雨でずいぶんとまた景色を変えるのでしょう。

木々の間を毎日伝う快楽を覚えたのは、京都の下鴨神社にある「糾の森」
以来だ。
よく考えたらサエなかった学生生活だが、日々なんかいい気分だった。
木々のおかげである。
クリスマスの電飾がきれいな季節だ。
イルミネーションを見ているとシアワセな気分になる。
ただ、僕自身はキリスト教徒ではないので、
どっか引っかかる。
なんか根拠がない、ですよね?
僕はイエスキリストの生誕を祝ういわれは、ないのだ。中学高校とカトリック系の学校だったが、信徒ではない。
過去にはクリスマスを口実に
あれこれ画策したり一喜一憂したりもした。たいてい失敗したが。
正直、キリスト教徒としての義務を負ってないのなら
「サンタさん」を信じたり期待するのは
やっぱり間違いだと思うのです。
毎週教会に行けとは言いませんが、やっぱあれは「よそさまのもの」ではなかろうか。
あの辺から「ただ乗り」というか、義務責任は負わないが、
おいしいとこいただいて当然、みたいな感覚が育つのではないかと…。

せめてナマハゲにしなさい。(でもナマハゲを口実に女の子口説けないな)
というようなことを毎年思っていたのだが、
もともとクリスマスとはゲルマンの冬至を祝う習俗からきているらしく、
イエスキリストの生誕とは直接関係がない
ということを後に知った。
サンタクロースも同様とか。
そりゃそうだよね。新約聖書にはどこにも書いてなかったよね。
なんかすごく安心した。

ということで、クリスマスといわずに冬至祭とか
なんかちょっと変えてもらいたいなと思う。
韓国ドラマや香港映画なんかでアジア(異教徒)の楽しみ方を見ていると、
やっぱ根拠薄弱で、なんか情けないのは同じだなあ。
と言いながら。
 山下達郎の「クリスマスイブ」は好きだし
キックザカンクルーのカバーにはやられた!と思いぐっときた。
ポーグスの「NYの夢」というクリスマスソングを毎年聴いて涙ぐんでいる(名曲なので是非)
フィルスペクターやビーチボーイズの「クリスマスアルバム」も持っている。(スバラシイす)
根拠のない、オリジナルの縮小コピーとして、単なるお祭り、イベントのひとつとして楽しめばいいんでしょうかね。



ところで、表参道はクリスマスのイルミネーションをやめている。
以前楽しんだことのあるだけに寂しい気持ちもするが
神社の参道がクリスマスというのも恥ずかしい。
正しい選択である、とは思う。
「坊っちゃんの時代」という劇画のシリーズがある。
(関川夏央 原作・谷口ジロー画)
明治東京を舞台にしているのだが、東京に住む快楽は
この作品に描かれた明治東京をふと感じることができるせいだ。
(たしかに京都や欧州と較べたら東京の歴史なんて、いじましいばかりだけどね)
いくつかの人物が登場するのだが、
石川啄木が出てくる。
「これって僕じゃないか」と思えるところがあり
(全部ではないし、彼の文才は僕にはまるで無縁)
フシギな気持ちになる。
最初の「モラトリアム世代」だったのだろうか。
シゴト帰りにジムで泳いでいる。泳ぐだけ。どうも機械は好きになれなくて。
週1~2回程度だが、なかなかいいもんである。

肩凝りもすっきりするが、
なにより、その日のことはさっぱり忘れる。

昨日も職場を出ようとしたところに、
交渉中の取引先から逆ギレ電話。

それなりにムカついたが、泳いですっきりした。
ガツンとやってすっきりしよう。
今週急に地元に帰省するかもしれない。
ビジ法検定の準備もどっかに行ってしまいそうだ。
昼休みに浮世絵美術館に行った。
小さな美術館だが、月ごとに展示が変わる。
徳川とか明治の藩閥系とかには
尊敬の気持ちがさらさらないのだが
浮世絵は好きだ。
当時、コドモの小遣いでも買えた複製品である、
という辺り、非常に好きだ。

昨夜、新宿のゴールデン街で初めて飲んだ。
こちらに来てからの友達。

店がわからなくて友達には迷惑かけた。この場でも謝っておこう。

たまに会うだけでなかなか会えないが、
知り合えたおかげで東京での暮らしは
なんか楽しい、あったかいものになった。
この場を借りて感謝しておこう。

でもって、ここには書かないが「!!」と驚くようなドラマがあったことを聞かされた。
この人は誠実の人なのだと思った。

行った店は、これまた友達が開いた店だ。
友達といっても、これがまたしばらく会えなかった。
80年代をテーマに、とても面白い店なので
よろしかったら関東圏の人、

のぞいてみてください。
http://www.plastic-model.net
今朝は風もあって、
けやき並木の落葉が舞っていた。
冬の日差しに照らされて少し眩しい。
この季節のけやき並木がいいのは、
色合いがひとつひとつ、あるいは木の中でも違うことだ。

黄緑、深緑、黄色、赤、茶がまざりあう。
光の当たり方によっても違う。
驚いたのは、坂の上からは茶色に見えた並木が
並木を歩いているときは黄色に

職場付近で坂の上を見上げると黄緑に見えることだ。

残念ながら、岩手の遠野の山奥で見たような、
燃えるような紅葉ではない。
しかし、お店屋さんごっこのセットとしては、

あるいはまるで関係ないジム仕事前の導入としては
最高かもしれない。